甘涼道(かんりょう-どう)は、中華民国北京政府により設置された甘粛省の道。
沿革
1913年(民国2年)、清代の甘涼道に河西道として設置。観察使は武威県に置かれ、下部に武威、永昌、鎮番、古浪、平番、張掖、東楽、山丹、撫彝の9県を管轄した。1914年(民国3年)5月に観察使が道尹と改められた。1927年(民国16年)に廃止されている。
行政区画
廃止直前下部の9県を管轄した。(50音順)
- 永昌県
- 古浪県
- 山丹県
- 張掖県
- 鎮番県
- 東楽県
- 武威県
- 撫彝県
- 平番県



甘涼道(かんりょう-どう)は、中華民国北京政府により設置された甘粛省の道。
1913年(民国2年)、清代の甘涼道に河西道として設置。観察使は武威県に置かれ、下部に武威、永昌、鎮番、古浪、平番、張掖、東楽、山丹、撫彝の9県を管轄した。1914年(民国3年)5月に観察使が道尹と改められた。1927年(民国16年)に廃止されている。
廃止直前下部の9県を管轄した。(50音順)


