寺島 良安(てらしま りょうあん、1654年(承応3年)- 没年不詳)は、江戸時代前期から中期の医師である。字は尚順。別号に杏林堂。名字の読みは「てらじま」とする資料もある。
経歴・人物
出羽の能代(一説に大坂の高津)で商人の子として生まれる。
後に大坂に移り、同郷の伊藤良立及び和気仲安の門人となり医学や本草学を学んだ。後にこの業績により、大坂城入医師となり法橋に叙せられる。この間に明代の医学の影響を受けた著書を多く刊行し、学業における和漢の概念を唱える等名を馳せた。その後の生涯は不明であるが、享保の頃に没したといわれている。
主な著作物
主著
- 『和漢(倭漢)三才図会』- 1712年(正徳2年)に刊行。全105巻からなり、明代の『三才図会』を参考にして執筆された絵入り百科事典。日本における大百科事典の発端といわれている。
その他の著書
- 『通俗三才諸神本紀』
- 『済世宝』
- 『弘法大師略伝』
等。
出典
- デジタル版 日本人名大辞典 Plus(講談社)『寺島良安』- コトバンク
- 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『寺島良安』- コトバンク
- 世界大百科事典 第2版(平凡社)『寺島良安』- コトバンク
外部リンク
- 寺島良安

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