哀帝(あいてい)は、唐朝の第23代(最後)の皇帝。昭宗の九男。昭宣帝(しょうせんてい)とも呼ばれる。また唐の皇帝としては2人目(追尊を除く)の、廟号を贈られなかった皇帝であった。
生涯
初めは輝王に封じられる。904年に父の昭宗が朱全忠により殺害されると、その朱全忠により擁立された。しかし、禅譲のためだけに即位させられたに過ぎず翌905年2月には徳王李裕・棣王李祤・虔王李禊・沂王李禋・遂王李禕・景王李祕・祁王李祺・雅王李禛・琼王李祥ら、自身の兄弟9人が朱全忠の開いた偽りの宴会にて殺害されると、さらに6月には貴族層であった唐の朝臣も粛清され(白馬の禍)、907年には朱全忠への禅譲を余儀なくされた。禅譲後は後梁の済陰王に封じられたが、翌908年に後難を恐れた太祖朱晃(朱全忠より改名)によって曹州の済陰宮で毒殺された。享年17。



