小倉空襲(こくらくうしゅう)は、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)にアメリカ軍によって行われた福岡県小倉市(現北九州市)への無差別爆撃。

概要

太平洋戦争中、小倉陸軍造兵廠(造兵廠としては日本最大級)が設置されていた福岡県小倉市は、アメリカ軍による空襲の標的となった。

  • 1944年(昭和19年)6月16日早朝、同造兵廠が爆撃された。死者80人以上とみられるが、2009年までに判明している死者は79名である。
  • 同年8月20日の爆撃では、58名以上の死者がでた。

その他

  • この他福岡県内の市部では、八幡、福岡、大牟田、門司、久留米、戸畑、若松などが空襲被害に遭っている。

脚注

外部リンク

  • 北九州市 「北九州空襲」

参考文献

  • 吉田守男『京都に原爆を投下せよ : ウォーナー伝説の真実』角川書店、1995年7月。ISBN 9784048210492。 
  • 吉田守男『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』朝日文庫、2002年8月。ISBN 9784022613530。 
  • 「戦略爆撃調査団資料」アメリカ公文書館

関連項目

  • 小倉市
  • 長崎市への原子爆弾投下 - 当初の投下目標は小倉市であった

福岡大空襲の焼け野原=1945年6月27日

福岡大空襲の焼け野原。大博通りから博多港を望む=1945年6月27日

空襲直後の下関市街。路面電車の線路周辺だけが、ようやく片付けられた=1945年6~7月ごろと推定

京都女子大学で「馬町空襲被害地図」展示 学生らが撮影地点を推定 烏丸経済新聞

6月19日夜の空襲で焼け野原となった福岡市中心部。呉服町交差点の片倉ビル屋上から=1945年6月22日、富重安雄撮影