ネル・クライド・ウィルソン・レーガン(Nelle Clyde Wilson Reagan、1883年7月24日 - 1962年7月25日)は、アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンの母。
前半生
スコットランドおよびイングランド系で、メアリー・アン(旧姓:Elsey)とトーマスのウィルソン夫妻の間に7人兄弟の長女として生まれた。ジャック・レーガンとイリノイ州の農業の町で出会い、1904年11月にフルトンで結婚した。ニールとロナルドの2人の子供をもうけ、次男の誕生後にこれ以上子供を作ることはできないと宣告された。家族はタンピコから多くのイリノイ州の小さな町、シカゴなどを、ジャックの仕事の都合で引っ越した。
教会での仕事
ロナルドは母について "always expected to find the best in people and often did" と記している。定期的にディサイプルス教会に出席し、活動的で、非常に影響力があった。頻繁に日曜学校を主導し、聖書の読み上げを行った。敬虔で、教会で祈りの会を主導し、牧師の留守中は、週半ばの祈りを担当していた。教会への強い傾倒は、息子ロナルドを父のようなカトリック教徒ではなく、プロテスタントにするものであった。ロナルドもまた、自身の信仰にこの強い影響があったことを認め、"I know that she planted that faith very deeply in me." と記している。例えば、ロナルドが卒業したユーレカ大学は1855年にディサイプルスによって、設立されている。
教会内でのネルの影響により、そのうちの一人が "Many of us believed Nelle Reagan had the gift to heal" と言い、そしてさらにミルドレッド・ネールはネルの祈りの強い情熱を思い出した。:
教会での仕事でネルは多くの演劇に出演した。1926年の "The Ship of Faith" のレビューは "Mrs. Reagan is one of Dixon's favorite readers and has appeared before many audiences, always greatly pleasing them." と述べている。
後半生
1938年、息子2人がカリフォルニア州に引っ越した後、そのうちのロナルドは両親にハリウッドで新しい家を買った。それは2人が最初に所有していた家だった。1941年5月18日、夫ジャックが死去した。ネルはディクソンにある教会に通い、信仰を保ち、南カリフォルニアの結核療養所で働き始めた。しかし晩年に健康を害し、認知症(後にアルツハイマー型認知症と診断)になった。病気について、"I just kept my mind on God."と言っていた。1962年7月25日に79歳で病気の合併症で死亡した。
脚注
参考文献
- Angelo, Bonnie (2001). First Mothers:The Women who Shaped the Presidents. New York: HarperCollins Publishers, Inc. ISBN 0-06-093711-4
- Kengor, Paul (2004). God and Ronald Reagan. New York: HarperCollins Publishers, Inc. ISBN 0-06-057142-X
- Reagan, Ronald (1990). An American Life. New York: Simon & Schuster. ISBN 0-7434-0025-9
関連項目
- ロナルド・レーガンの生誕地



