板倉 勝尚(いたくら かつなお/かつひさ)は、江戸時代後期の大名。上野国安中藩主。官位は従五位下・伊予守。重形系板倉家6代。

略歴

天明5年(1785年)、備中国松山藩4代藩主・板倉勝政の五男として誕生した。

安中藩の先代藩主・板倉勝意の養子となる。文化元年12月、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。文化2年(1805年)5月12日、養父の死去により跡を継いだ。教養に造詣の深い藩主であり、文化5年(1808年)3月には藩校・造士館を創設する。また、勝尚自身の著作も「悼山吟草」や「水雲問答」など、多数残されている。藩政においては、藩財政再建のために倹約を行なっている。

文化7年9月、奏者番に就任する。文政3年(1820年)8月26日(または9月7日)に死去した。享年36。跡を長男の勝明が継いだ。

系譜

父母

  • 板倉勝政(実父)
  • 飯田氏 - 側室(実母)
  • 板倉勝意(養父)

正室

  • 結 - 阿部正倫の娘

側室

  • ヨシ - 秋月種徳の娘

子女

  • 板倉勝明(長男)
  • 分部光貞(次男)
  • 板倉鎌之助
  • 板倉勝殷(三男)

円光寺

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